2021-04-27 第204回国会 参議院 国土交通委員会 第13号
○政府参考人(井上智夫君) 平成三十年台風第二十一号により大阪湾は過去最高の潮位となりましたが、湾に注ぐ木津川、安治川、尻無川の三河川の河口付近に整備した三つの水門や高潮堤防、さらには水門閉鎖時に寝屋川流域や大阪市街地に降った雨水を淀川本川へ排水する唯一の毛馬排水機場等が無事に機能したことによって、これらの地域の浸水被害が防止され、約十七兆円の効果があったと推定しています。
○政府参考人(井上智夫君) 平成三十年台風第二十一号により大阪湾は過去最高の潮位となりましたが、湾に注ぐ木津川、安治川、尻無川の三河川の河口付近に整備した三つの水門や高潮堤防、さらには水門閉鎖時に寝屋川流域や大阪市街地に降った雨水を淀川本川へ排水する唯一の毛馬排水機場等が無事に機能したことによって、これらの地域の浸水被害が防止され、約十七兆円の効果があったと推定しています。
また、この大戸川ダムの工事とも並行して、淀川水系全体の治水安全度を向上させるため、下流部の淀川本川における河道掘削や橋梁架け替え、桂川、宇治川、木津川の河道掘削や堤防整備、そうした上下流バランスを確保しながら、着実に水系全体の安全度を守る対策を取ってまいります。
これは木津川という方なんですけど、同じ淀川には集まってきます。この川上ダムが二年後には完成するんですけれども、川上ダムが二年後に完成したときに、例えば淀川で毎秒五百トン水位が低下できると。そして、川上ダムの治水容量で五百トン、利水を転換したらプラス五百トン。そうすると、大戸川ダムの分は川上ダムの治水の、言わば利水容量の治水活用で対応できないでしょうかというのが最初の質問でございます。
川上ダムで洪水調整ができるのはその上流にございます木津川に限った雨を対応するということになりますので、今後とも淀川水系流域全体で対応していくというような考えでございます。
淀川本川、桂川、宇治川、木津川、寝屋川、大戸川といった支川を俯瞰しながら、流域全体の浸水リスクを低減できるように流域治水プロジェクトを取りまとめる予定でございます。 特に、下流の寝屋川は大阪府内を貫流する大切な河川でございまして、ですが、地盤が低いため、台風時にはよく洪水、氾濫が起きると。
○政府参考人(井上智夫君) 先ほど朝日政務官がお答えしたとおり、この木津川のダム群の利水容量を活用するということ、これについては、操作の方法を見直さないといけないので、実際どの程度効くのかがはっきりしておりません。 それから、気象予測ということに依存している事前放流になっておりますので、この大戸川ダムの効果と簡単に比較するということはできないというふうに考えているところでございます。
淀川水系の宇治川、木津川、桂川における事前放流による治水に活用できる容量は、委員おっしゃったとおり約八千万立方メートルとなっておりまして、昨年五月に利水者と治水協定を締結し、運用を始めているところでございます。
大戸川ダムについては下流七十キロまで二十センチ水位低下の効果があると、木津川の上流の例えば高山ダムやあるいは川上ダムや青蓮寺ダムは効果が限定的だと。このことについて、私は現場を知る人間として納得をできないんですが。 ですから、たとえ木津川上流であっても枚方への効果は推定でき、そして、単に限定的と言えない。つまり、片方は二千万トン、片方は八千万トンです。ここのところはどうですか。
先週、京都府木津川市がIT企業と連携して、これまで職員が担ってきた定型的な事務作業をAIやロボットによって効率化する実証実験をことしの夏に行うことが決まりました。その後、実験結果を検証し、本格導入を目指すとのことです。 既に他の地方自治体でも、企業と連携し、AIやロボットによる業務効率化のための実証実験も進められております。
また、原子力機構は、関西に光科学の研究所を持って、木津川と播磨にあるんですけれども、理化学研究所も放射光科学総合研究センターというのを播磨に持っております。もともと原子力機構の前身というか一部であった原子力研究所と理化学研究所の共管であったSpring8もあるわけで、理化学研究所と原子力研究開発機構もかなり仕事の重なっている部分がある。また、放医研と理化学研究所の重なっているところもある。
淀川水系というのは、桂川、宇治川、木津川という大きな三つの川が三川合流という形で淀川に向かっていくわけでありますけれども、実は、きょうもう一つ、一枚紙の裏表で資料をお配りさせていただいております。
この木津川がはんらんすることによって今回非常に伊賀市に甚大な被害が起きたんですけれども、実は私、三重県内で選挙期間中も選挙が終わってからも、河川に非常に土砂が堆積して、それが捨場がない、あるいは財政上の問題で取り除くことができないと、それを何とか撤去してほしいというお声を地方公共団体、また住民の皆様から日々聞いております。今回、台風十八号の影響で木津川決壊いたしました。
私、特に伊賀市、あの忍者の伊賀でございますけれども、伊賀市においても甚大な被害受けまして、その中で、伊賀の木津川、これ淀川の上流域に当たりますけれども、木津川がはんらんして大変伊賀市に大きな被害が起きたと。国道の崩落もそうでございますし、百戸近くの住居が浸水したということが起こってございます。
○政府参考人(森北佳昭君) 今回の台風十八号では、木津川の三重県管理区間でございますが、伊賀市の下神戸地区におきまして、木津川の増水によりまして国道四百二十二号、崩落する被害が生じました。当該区間につきましては三重県によりまして河川改修進められており、今年度内に松本井堰の改修に着手をすると聞いております。
○金高政府参考人 本件は、平成二十一年十一月十六日、大阪市西成区の木津川において、当時三十四歳の女性の遺体が発見された事案であるというふうに承知しております。 大阪府警におきましては、当初から犯罪の疑いありということで、遺体を司法解剖しているほか、関係箇所の鑑識活動あるいは関係者の事情聴取などを続けてきているところでございます。
今、川上ダムが建設されます木津川の上流域におきまして私どもがダムの関連で調査を行った結果、川上ダムの建設予定地を含みます三重県、奈良県にわたる広範な地域にオオサンショウウオが生息をしてございます。
私自身も、井澤先生の御地元宇治市を見せていただき、桂川それから宇治川、木津川水系をくまなく見せていただきまして、天ケ瀬ダムあるいは塔の島も見せていただいたところであります。 やはり我々国政に携わる者というのは、その地域の住民の生命とか財産とか、そういうものを守るというのが第一番目の我々の使命だと思っております。
さて、早速ですが、関西学園都市の中にあります木津川市の木津中央地区という開発地の中で、このたび馬場南遺跡というものが見つかったわけですね。これは奈良時代の寺院跡で、そして、この遺跡は日本書紀などの文献に登場しない奈良時代の中期から後期の未知の寺院、神雄寺の主要な建造物と推定されて、注目を集めています。
また、これに関連して、地元の河井規子木津川市長は、この遺跡は木津川市の宝であり、同時に国の宝でもある、史跡指定を受け、史跡公園として整備をしたい、ぜひURそして国の支援をお願いしたいというふうにもおっしゃっておられます。
○高塩政府参考人 今、この木津川市の行っております史跡の調査に対しましては、埋蔵文化財の調査に対する国の補助として、二分の一の補助をいたしております。また、史跡指定を受けた場合には、その後の整備につきまして、これも同じく二分の一の国庫補助の仕組みがございます。さらには、土地を公有化、木津川市の方で取得するということになれば、八割の補助ということが可能でございます。
私の地元京都には、昨年の三月に三町が合併した、人口六万七千人の木津川市という市があります。この地域は、関西文化学術研究都市というものがあり、大阪、京都、奈良のちょうど中間地点に当たりまして、近年、人口がふえており、ベッドタウン化が進む市になります。人口増加に伴い、もちろん子供たちもふえ、学校も新しくできたりしております。
この数字は淀川流域全域で、大戸川ダムと関係のない木津川や桂川まで対象としたものであります。 問題は、計画高水位を超える区間は三・六キロしかないんですね。この区間の堤防強化にはどれだけの費用と期間がかかるのか、明らかにしてほしい。
この理由といたしましては、淀川水系における治水対策として、まずは淀川本川及び宇治川、桂川、木津川等の堤防強化を実施することとし、洪水時に下流の流量の増加をもたらす狭窄部の開削や河道掘削等の河川改修は基本的に実施しないということを前提といたしました。そうすると、中上流部で洪水のときにあふれますので、ダム事業の洪水調節効果が小さいことから、当面は実施しないとしたわけでございます。
しかしながら、淀川水系流域委員会におきまして、耐越水堤防の事業費を是非試算してほしいという強い要望がございましたので、あえて技術的な課題あるいは実現性を無視しまして、非常に大きな仮定の下に試算いたしましたら、淀川本川、宇治川、桂川及び木津川の直轄管理区間における耐越水堤防に要する費用が約二千百億円から三千六百五十億円、その整備期間が約八十年から百九十五年と試算して、四月二十二日に開催されました淀川水系流域委員会
国でも、従来から、京都府や木津川市が実施している発掘事業や土地公有化事業について国庫補助事業を行い、支援をいたしております。 発掘でございますから、非常に、先ほども昭和三十二年とおっしゃっておりましたから、十九年まで、非常に時間がかかっているわけでございますけれども、国としても、今後ともしっかりと支援をしていきたい。
○山井分科員 それでは、続きまして、もう一つ、私の地元の木津川市の恭仁京の保存についてお伺いしたいと思います。 平城京から現在の木津川市に移された、かつては幻の都と言われたこの恭仁京は、昭和三十二年に史跡指定以来、発掘が進み、平成十九年二月には恭仁宮と名称を変更されて、範囲も追加指定されております。
資料一の一番下を見てもらいますと、⑦木津川市というのがあります。これは学研区域に入っているわけでありますけれども。その隣に和束町、笠置町、南山城村というのがあります。これは人口一万人未満であります。これが同じ郡でありまして、三町村も合併を望んでおられたわけでありますけれども、結果的には木津川市となった三町から拒まれたと、こういうことであります。
例えば、人口十九万人の宇治市という都市部や、また人口増加率が全国第二位の精華町という町がある、ほかに、一年前に三町合併を行ったばかりの、これからまちづくりをしていく木津川市という市もあります。 でも、その市町村合併に取り残され、財政が本当に緊迫して、高齢化や過疎化に悩む郡部の町村など、村もあります。